コラム

終戦70年に考える

 東日本大震災の翌日、家人から頼まれ、給水車から水をもらうために、長い列にならんだ。すでに夕方で、聞けば最後の給水車であるという。20〜30人も配水すればなくなってしまうだろうに、列は100人以上に及んでいる。私が並んだのは最後尾に近いが、後ろには80歳を超えていそうな老婦人もいらした。
 見るにみかねて、給水車の脇に立つ業者に、「あと何人ぐらい配れるのか?」「残り少ないならこれほど並ばせる必要はないのではないか」「お年寄りに優先して配ってはどうか」と言った。水道局か市役所から来たらしい若い人がいたが、間抜け顔で、ただ突っ立っているばかりである。私が声をかけた業者は、「余計なことを言うな!」と言わんばかりににらみつけてきた。水をもらっていた中年男性は「並んでいるんだから」と殺気だっている。あまりの余裕のなさに私も腹を立て、老婦人らに「もう帰ったほうがいいですよ」と声をかけた。この寒さの中で、大丈夫だろうかと心配だったが、どうすることもできない。
 家に帰って家族には「あんな連中に水などもらうことはない」と告げた。車で少し走れば川もあるし、湧き水だってある。なんとかなると思っていた。翌日、駅前近くにある会社に行ってみた。水道の栓を開けてみると、なんと、いくらでも水が出てくる。もちろん、余るほどの水を家に持ち帰ったことは言うまでもない。あの老婦人の家を聞いておけばよかったと後悔した。
 東日本大震災で日本人は冷静であったと、一部を見た報道機関などが自画自賛していたが、実際はそんなことはない。日本人の狭量さは時に度を超えることがある。
 戦後70年が過ぎた。戦前は軍国主義教育が徹底して行われ、マスコミも「鬼畜米英」と見出しを掲げ国民を戦争へと追い込んだ。その結果、人々は厭戦気分を言葉にするだけで「非国民」とののしられるようになった。戦争末期には、落下傘で脱出した零戦パイロットを米兵と間違え、集団で撲殺した事件も起きている。
 70年を過ぎても、そんな国民性は変わらない。マスコミも戦前とは立場が正反対であるものの、やっていることはさほど変わらないように思う。たとえば、安保関連法案に賛成する人は、徹底的に叩かれる。賛成もあれば反対もある、というのが自由社会のいいところなのに、マスコミや反安保派は反対意見に耳を傾けない。それでは、あの日のガラの悪い委託業者や、お年寄りに順番を譲らない、ろくでなしの中年男と同じレベルではないか。
 最近、反日に血道を上げる国民性にうんざりして嫌韓感情が広がっているが、日本人もさほど変わらない、とがっかりする今日この頃である。

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