コラム

過去よりも未来に目を向ける

 サラリーマンなら定年間近な歳になったためか、高校や大学の友人らが遊びに来て、昔話をする機会が増えた。あの時は良かった、あのときはこうだった…などと遙か昔のことを振り返る。でも、正直に言って、こちらはいつも戸惑ってしまう。実は昔のことを、ほとんど覚えていないのだ。自分のこと以外は…。
 毎日、振り返る余裕などなく、必死に生きてきた。大切なのは、きのうのことよりも、明日どうするのかということだった。それは、今も同じである。年をとれば少しは楽になるかと思ったが、まったく違った。いまだに明日が不安で、昔のことを振り返る余裕がない。私にとって過去は、終わったことである。友人らには申し訳ないが、そんなもののために時間を使うのは惜しいと思っている。しかし、未来のことを話すなら、どんなに時間をかけてもかまわない。
 終戦後、焦土と化した日本は、半世紀もたたないうちに経済大国になり、先進国の仲間入りをした。なぜなのか。私なりに感じるところがある。
 戦時中、米軍は日本の主要都市の無差別爆撃をし、広島や長崎に原爆を投下して、軍人だけでなく、非戦闘員も殺傷した。現代なら、たとえ戦争であっても許されない民間人の殺戮である(当時も同じだと思うが…)。しかし、敗戦後の日本人は、米国に面従腹背するわけでもなく、恨みを抱くわけでもなく、欧米諸国に追いつこうと必死に働いて復興を果たした。国家滅亡の危機から一転して民主主義国家として成熟し、先進諸国と肩を並べたのである。
 私たちはよく、「水に流す」と言う。これは、日本人の気質を表す象徴的な言葉ではないか。過去にこだわらないのは、日本人の美徳でもあると思う。米国を恨み、責めていたのでは、今の日本はなかっただろう。「人を恨めば穴二つ」とも言う。多くの日本人は潔さを好み、恨みを捨てて前進するのだ。
 かの国の大統領は、「1000年恨みを忘れない」と言ったらしい。さまざまな国内事情から出てきた言葉なのだろうが、過去に拘泥するその思考と行動が、憎い日本をいまだに追い抜けない理由なのではないか。
 昔のことをどんなに語っても、あしたが変わるわけではない。だったら未来のことを考え、語り合い、共に行動したほうが得策だ。国家だけでなく、企業も仕事も家庭でも同じだと思う。

また震災報道の季節がやってきた

 3.11には、また被災地報道が怒濤のように流されるのだろうとうんざりしていたら、ことしは前日からひどかった。とくにNHKは、何を考えているのだろうと不思議になった。30分以上を被災地の問題に充て、ほかのことはあと回し。マレーシア航空機の遭難やグルジア問題など報道しなければならないニュースはたくさんあるだろうに。
 そんなことを言うのも、震災報道のほとんどがお涙頂戴で、当事者である我々からすると、ピントはずれのものが多いからだ。たとえば、堤防の問題。最近は津波の恐怖も薄れ、海が見えなくなるような高い堤防はいらない、という人も多い。それはそれでいいだろう。私もムダな税金を使うのには反対である。しかし、以前にも指摘したが、寝たきりの病人や車イスの人たちは、津波が来たらどうするのか?景観を守るためには、少々の犠牲はやむを得ないというのだろうか。もちろん、それもまた、当事者たちの選択である。私には、どちらがいいとも悪いともいえない。報道の姿勢もかくあるべきではないか。それぞれに利点もあればリスクもあるということを、両論併記しながら伝えるのが、マスコミの役目であると思う。
 原発問題も同じである。最近の新聞やテレビは、自分たちの主張にそった都合のいい報道ばかりする。結論ありき、なのだ。反原発派の新聞やテレビは、反原発の識者のコメントに大幅な紙面や時間を割く。そうやって世論を誘導しようとする。これって、戦前の報道とさほど変わりはないのではないか。戦後生まれなので、詳細はわからないが。。。
 この問題についても冷静になり、自然エネルギーの利用は可能なのか、原子力技術を失ってもいいのかなど、メリット、デメリットを挙げ、国民が正しい選択をするための公平な情報を与えるべきだと思う。ちなみに、東北に暮らす我々にとって、太陽光発電は頼りにならない。夏はともかく、冬は日差しが弱いし、雪が降れば使いものにならなくなるからだ。
 この仕事を続けてきて最近思うのは、マスコミの、どうしようもない劣化である。たくさんの人の声に耳を傾け、自分の足と目で情報を確かめ、思索を繰り返す。いつの間にか、誰もそんな面倒はしなくなり、情報の焼き直しや会社の偉い人の決めた方針にしたがって偏向報道に励んでいる。それで痛い目に遭うのは、いつも庶民なのだ。嗚呼…

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