コラム

震災報道で思うこと

 3月11日、また、あの日がやってきた。わずか2年しかたっていないのに、遙か昔に起こった出来事だったように感じる。周囲の人に聞いても、同じような感想である。
 3月11日前後は、テレビも新聞も怒濤のような震災特集だった。当事者にしてみればうんざりで、いい迷惑だけれど、さっぱりと忘れ去られても困るから仕方ないのかもしれない。そうした報道の中で、少し気になったものがあった。夜10時のなんちゃらニュース。
 気仙沼の湾岸に堤防を造るという報道で、海が見えなくなるような高い堤防はいかがなものか、という趣旨だったように思う。反対派の意見を多く採り上げていたから、恐らく、そうなのだろう。
 気仙沼の美しい海が、6mを超える堤防で見えなくなってしまう。それじゃ、あんまりだな、と私も同感である。しかし、考えてみてほしい。
 田老町の防潮堤は海面高から10mあり国内最大と聞いていたが、今回の津波はその高さを簡単に超えた。そこに暮らす人は盛り上がる海面が見えずに、避難が遅れたともいわれている。それに、震源がどこになるのかで、押し寄せる津波の高さも違うだろう。ならば、何mにすれば安全なのか。
 被災地を旅していると、たくさんの悲劇を耳にする。その中で特に記憶に残っているのが、寝たきりの妻を置いて逃げるわけにはいかず、あえて家にとどまり、津波にのまれた老人の話だった。その顛末を見届けた近所の老婦人が、涙ながらに語ったことである。車いすの子供や寝たきりの父母など、同じような悲劇は数多くあろう。
 景観を壊し、津波を防げない堤防にお金をかけるより、逃げる方法を考えたほうがいい、というのは正論である。ただし、それは、走る元気がある人に限る。動けない人を基準にすれば、いやでも堤防は高くなってしまうのだ。
 いつも弱者の味方であるかのように話す報道番組のFさん。さぁ、どうする!

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